南米渡来の「女里弥寿(メリヤス)」
突然ですが「莫大小」をご存知ですか?
これを「メリヤス」と読める人は業界人か、私(1950年生まれ)よりご年配の方ではないでしょうか?
漠大小ってなんだ?
80年頃、私がニット屋になりたてのころです。
ニット製品を作って戴いている会社の社長さんを紹介され、○○莫大小株式会社 代表取締役という名刺をもらったとき「莫大小(バクダイショウ)ってなんだ?」とビックリした思いがあります。
今でも○○メリヤスというニット製造の会社は多くあります。どうも私の場合、メリヤスと聞くとラクダのシャツに代表される昔風の地味な下着を思い浮かべてしまいます。
ニットのことを「メリヤス」と呼ぶのもかなり古風な呼び方ですが、さすがに莫大小は今ではあまり使われない表記です。
「メリヤス」とはポルトガル語でメイアス、スペイン語でメディアスと言って靴下のことだそうです。ニットが日本に伝わった時の詳しい事情は解っていないようですが、メリヤスと聴いた当時の人たちが「女利安」とか「女里弥寿」と当て字をしたようです。
日本に西洋人が現われたのが一五四三年。ポルトガル船が鹿児島の種子島に漂着した時、いわゆる鉄砲伝来の時ですね。
それ以後一六三九年に徳川幕府が鎖国をするまで度々ポルトガル船が訪れ、一五四九年にはスペインのイエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエル等が日本を訪れていますのでその頃に伝わったものでしょう。と言うことは伝来者はポルトガル人かスペイン人でしょう。
イエズス会の宣教師のロイス・フロイスが織田信長にヨーロッパのいろんな産物を献上していたようですから、その中にメリヤスというニットの靴下が入っていたかもしれませんね。
その頃の風俗を描いた南蛮屏風絵の中に描かれた西洋人。ニッカポッカのようなパンツの下から色とりどりの長靴下が見られます。これはまさにメリヤスといわれるニットの靴下でしょう。
鎖国の間も長崎の出島では靴下が編まれていたそうで、長崎土産としてもてはやされ、江戸時代末期にはかなり普及し武士の内職として盛んに編まれていたそうです。
貧乏武士の内職は傘の張替えや代書屋というイメージがあるんですが、ちょんまげ姿のお武家さんが編み棒でニットの靴下を編んでいるのを想像するだけで笑ってしまいます。
漠大小は「伸び縮み」すること
その頃の文献に「めりやすというものは、のびちぢみありて、人の腕の大小あれど、いづれもよくあうものなり。さらば大小と莫(な)く合うという義にてあるべきや」と記述があるそうです。
ニットの特性を表した莫大小をクイズみたいにメリヤスと読ませてしまう。日本語って面白いですね。
幕末の寵児で、袴を履いて靴をはいていた「坂本竜馬」の写真がありますが、新らし物好きだった竜馬は、きっとあの靴の中にはメリヤスの靴下を履いていたんだろうなぁと想像すると、竜馬ファンとしてはちょっと楽しくなります。
信長も竜馬もメリヤスをはいていただろうと言うのは私の希望的観測ですが、あの天下の副将軍の水戸光圀が靴下を履いていたのは事実のようで、七足の靴下が遺品として発見されています。
さすが黄門様、七足の靴下のうち三足は絹製の長靴下だったそうです。